実地、そして嵐山へ マイストーリーを声に出し、語る

本日午前中のオンラインコンサルを終えてから、

師匠である相川陽介氏と嵐山へ

川に向かいマイストーリーを言葉にするという時間。

ただただ、淡々と書いたものを語った。

それを公開してみようとおもう。幼少期、甘栗の記憶が最初って、どうよ。食いしん坊の一端がもう見える、、、

で、わたし天才だ。




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●幼少期 食べ物ばかり


幼稚園で母に連れられて、美容院についていき待っている時に甘栗を食べた。美味しかった。母に連れられて広島の原爆映画をみせられた。逃げ場のない恐怖しか感じれなかった。トラウマ。

兄とお留守番で、おっとっとを一緒に食べた。兄とふたり、コーヒーの色のついた砂糖を食べてドキドキした。

母が誕生日にはケーキを作ってくれて、毎年最高に幸せだった。ドーナツを作ってくれた。最高にうれしかった。母が洋服をつくってくれたり、浴衣を作ってくれてうれしかった。けどビキニだけは恥ずかしかった。

家の台所でボヤ騒ぎがあった。停電して暗いお風呂に入り、暗闇の中でお寿司を食べた、不安だった。家族で朝のマラソンが苦痛だった。兄の後ろをついて回るのが大好きだった。お兄ちゃんが大好きだった!犬を飼った。うれしかった!大好きだった。父がイヌの家を作ってくれた。ワクワクした。近所のみんなとおままごとしたり、かくれんぼして暗くなるまで遊んだ。楽しかったー。父と兄で山登りにいきサワガニを父が捕まえたり水遊びしたり楽しかった!

はじめての美容院で、後ろを刈り上げられてしまい、次の日の登校中雨だったので傘で隠した。恥ずかしかった。

●小学校 引っ越し、母の死

1年生の時、山梨に引っ越しをした。不安だった。みんなの歌が好きでよく歌っていた。いままでスカートだったのに、山梨に引っ越したらみんなジャージ、ダサかった。机はぐちゃぐちゃ、へんな甲州弁のイントネーション、不安だった。朝マラソンの時間があって、転んでしまった。まわりにはスカートをはいている子がいなくて、わたしもジャージを着るようになった。

母に手伝ってもらって清書して一緒に書いた作文が、全国最優秀賞をとった。誇らしかった。初めて料理をした時の話。

山梨で大雪、雪の日風邪をひいてるのに、雪遊びをさせてくれたのがすごくうれしかった。

母が亡くなった日、学校で呼び出しがあって兄と田んぼを通って家に帰り、病院へいった。二人黙っていつも以上にあしどりが重くなった。無。

母が死んだ。まだ触ると温かくて実感が湧かなかった。 悲しみに浸れなかった。

その後も、学校で作文が得意で授業最初5分で書き終わっていた。なぜみんなが書けないのかがわからなかった、で誇らしかった。

でも絵画の授業で、わたしのこだわりポイントの分からぬ先生に憤りを感じて悔しくて、トイレで悶々とした。絵もわりと賞をとった。小学校のころは部屋中に賞状がはってあり誇らしかった。母の雑誌の付録のスタイリングカラーの組み合わせ付録で色合わせして遊んだ。父が毎朝髪を結ってくれた。山ほど髪がざりを持っていた。うれしかった。

5.6年くらいになると交換日記に夢中になった。お店やさんごっこでさまざまなものを消しゴムのカスなどで作って買ったたり売ったりして遊んだ。カセットテープに録音して、ラジオDJごっこをした。本が大好きで毎日図書館に通って本を毎日読んでいた。イラストつきの夢のように料理をする本が大好き。読んでワクワクした。女優ごっこをして劇場とかをやってた。なんか楽しかった。バレー部に入って朝練とかした。アタッカーになりたかったけど、背も高い子がいたし、伊達にうまくて守り(バックセンターといってわたしだけ固定位置)ばかりやらされた。不満だった。攻めたいのに!笑。球技大会も5.6年に混ざり4年とかなのに参加して記録だしてた。

友人のお母さんがわたしの分までお弁当をつくってくれた。そのときはありがたいとか認識はなかったけど、うれしかった。

誰かに指名されるのは嫌いだけど、自ら挙手するのは好き。なぜか児童会副会長に立候補した。

兄もやっていたらわたしも。我が物に色々決められるのが楽しかった企画するのもたのしかった。全校生徒の前に出るのも恥ずかしくなかった。

●中学 笑い命!


とにかくくだらないギャグとかお笑いに夢中で、お笑いをみては、翌日学校でコントを再現してあそんでた。遊びがすぎるくらいくだらないことで遊びまくった。テニスはすでにやっていたが、中学ではテニス部が軟式しかなく、卓球部のユニホームが同じくらい可愛くて先輩も少ないので入部した。先輩めんどいから。

で、毎日笑えるくだらないことに命かけてた。

卓球もほどほどの練習でも、強くなった。楽しかった。とにかく先生にちょっかいだしたり、毎日笑ってた!箸が転げてもおかしい笑いばかりの、最高の友人に囲まれた!美術や家庭科がすきだった。勉強はできた。球技大会とかも、何やっても活躍。楽しかった。美術高校の体験入学で絵を描いた時その指導で、なんでわたしの感性がわからないかな?と思って入らなかった。

●高校


たぶんぎりぎり公立進学校に入った。なんだか中学と勝手が違って若干の息苦しさを感じた。

テニス部に入った。部長になった。ありあまる体力があったので、父と朝練してから部活にいく勢い。テニスが楽しかった。廊下は走って移動。時間がもったいなくて。体育館の集まりなど列に紛れて歩くのがきらいで、先に龍のごとくのスピードで体育館の前までいって、友人を待った。清々しかった。そうだ、大好きな人がいい声で、高校を辞めロンドンに経営を学ぶために留学していった。彼と大学になっても長い長い文通のやり取りをした。わたしは何になりたいか、彼との出会いで、この頃考えていたのは、悲しみの分かる人の琴線に触れるようなエッセイストになりたいと思った。

三年の担任に、小坪おまえ勉強きらいだろ?と言われてはじめて勉強好きじゃないことに気がついた。

だから大学は勉学も部活も頑張っていたので推薦でいった。ほっ。受験勉強しないですんだ。ただこの時期、知り合いを通じてこの頃ビジネス書というジャンルに出会い色々読んで感銘を受けた。



●大学 ふらふらした


フェリス女学院を選んだ理由。環境が山の手でよかったから。山手の街並みが好きでカメラもないのにいつも目でシャッターを切っていた。

でも大学時代はどこか馴染めなかった。ただ世界を知りたいと思って国際文化学科という科を選んだ。

スペイン語を選択、あまり真面目じゃなかったが、一か月だけピカソの生誕地マラガへ語学留学にいく。選んだ街は地中海。町の色彩美しさ全てが衝撃的に感動する。モロッコにもいった。町にワクワクした。

一人宮澤賢治の文学の先生が早稲田大学から、非常勤講師できていてその先生の授業が、言葉が迫り来るような表現と感性で大好きだった。授業を受けた後は、植物たちが話しかけてくるくらい感性が研ぎ澄まされた!

いろんなことを教えてくれるおばさまに出会い、そこの息子ちゃんをベビーシッターしたりしていた。旦那さんがボストン領事になったタイミングで、一か月遊びに行った。新鮮だった。新しい文化にふれられて楽しかった。ほぼ自分の部屋に戻らず彼女の家から学校に通ったりしてた。元インテリアデザイナーで部屋のセンスが抜群によく、おしゃれな方だったので話を聞くの、ついていくのが楽しかった。日本の農業に興味がでて、農業体験にいったりした。いったらそこまでのめりこまなかった。小さな演劇部に入って5分ほどの寸劇の脚本と演出をしたりした、がそこまでのめり込むこともなかった。チアリーダー部にも一年だけ入るが、しかも2年から。結局女子感強すぎて空気があわずやめた。もやもやした。西日本を一人旅もした。父の生まれ故郷、鹿児島長島でみた天の川の夜空、美しかった。タイタニックに感動して、映画監督になりたい!感動を作りたい!と思った!そのきっかけで今にできること、絵本をひとりひとりのためにインスピレーションで描いたりした。

野菜料理やオーガニック、栄養学にはまり、知識もないまま肉や魚卵を食べないことなどをした。大学生の間にやりたいけとが見出せず、かといって社会人になりたくなくて

心が不安定になり、将来を見出せなくなり、少し不安定になり、死にたいって何度も思う時期があった。ままなんとなく卒業。

●就職 つまらん



山梨のガス会社に就職。とにかく真面目風な感じでたまたま大学で紹介してくれた会社に就職。いい所長さんで好きだった。でも四年くらい通ったが、仕事自体は全く面白くなく。毎週御縁があった江ノ島のカフェに通っていた。この頃から写真を撮りまくった。感動をカタチにできる写真にどはまりした。実際チャンスをもらって少しだけ写真の仕事をしたりした。都内によくホテル朝食しにいった。楽しかったー。冬はみんなでスノボ、夏はサーフィンに行った。全然乗れなかったけど、楽しかった!好きな彼がいて一緒に連れて行ってもらって教えてもらっていた輝かしいとき、なぜか師匠と弟子の関係。星人があだ名だった。ガッデム。

なんの就職先をみつけず上京し、風水の先生に学んだり旅に行ったりした。ホテルで過ごす時間がいい気分だった。ここで、エネルギーは何たるかを学んだ。

自分だけでは限界があると思い、何者かになりたい!その後電波少年的なエピソードづくりをさせる芸能事務所で、バリ島いったり、たこ焼きやいたり、車塗ってくるまで寝泊まりしたり、みんなにお世話になりながら活動したが、芽が出ず、意味わからずやったが、結局意味わからず終わり山梨に戻ることを決意。父にも兄にも心配をかけた。申し訳ないと思った。ただ、そこで身につけたエネルギーの出し方は、一生物になった。

そこからやはり文章を学びたいと自社媒体のフリーペーパーを持つ旅行会社に就職、自由に編集の仕事を山梨で三年。変化が欲しいタイミングに本社が東京にあり転勤になり再び上京。

編集仕事しつつ、スタイリングを、華道をまなびフードコーディネーターの学校でまなび、マクロビをまなび、仕事のレシピコーディネートに生かした。ビジュアルを組み立てるのは楽しかったが、料理に比重をおきたくなり、結婚したかった彼とも別れ、仕事もまったくへんな部署にねじ込まれ、まったく直属上司の長いものに巻かれヤローが、理解できず、環境も変えたくなり、会社をやめた。

こんなに、見える世界がうまくいかないのは、外に理由があるわけじゃない、私にあると思った。環境が合ってない。休もう。身体を大切にしたい。

だから、会社をやめた。社長にはとてもお世話になった。社長と直で仲良くなってビジネスの話をしてしまうから中間管理職の方々が迷惑そうだったな。

●起業


会社をやめたあとも編集ライターを続け、みそぼうるを味噌やさんと組み商品化した。起業したあともぼちぼち何だかんだ生きられて、会社員時代の貯金を使ったりしながら、いけるだけ旅をした。会社員時代からのご縁の仕事が、いよいよ合わなくなり、やめると決めた、ちょうど他も連載などが終わり仕事がなくなっていったタイミングで、東京にこだわる必要がなくなったことに気がついた。

もっと旅ができるスタイルにしたい。あ、山梨に一度帰ろうと思いたち、引っ越した。現在、超快適な睡眠でしあわせに。

●転機 相川先生とのヴォイトレの出会い。


ヴォイトレでも、この方は私の人生のキーパーソンだと直観していた。

声と向き合う時間が何より楽しく感じ、初めて人様のビジネス塾を、受けてみたい!と心から思った!

今までピンと来るものは一つとしてなかった。すでにヴォイトレで凄さは肌で感じていた。

で、自分のその思いに忠実に従った。フォームから申し込みして、1週間以内の振り込みときた。でも第一回目の講座はそれより前!

これは私のための講座だと思った。1週間あれば、98万を得る感覚が身につくはずだからと思ったのだ。そのとき予算などなしゼロ!みそぼうるの商標登録で使い切っていた!はは!

その後、続々と私の変化と共にコンサルが決まり、ぎりぎり1週間以内に半額以上のお金が生まれた!

私が学んだら、もっとたくさんの人に先生の智慧を還元できると思った!

自身と向き合い、さらに自分の本音と向き合うことができるようになったことで、ますます人の本音がわかるようになった、どう導いたらいいか分かる、または相手の本来の姿がみえる。周りのコンサルを受けてくださる方が、どんどん人生に変化が生まれ始め、ますます確信した。

実際にコンサルから、そのまま空間プロデュースまでが流れになってきた!

そして、今、これから


もっと人は、望む人生を生きられる。

ただし、本人が以前のわたしのように自分自身を騙している。だからこそ、そのことに気がつくきっかけをわたしは提供できるのではないかと。

それは私が越えた道だから。

本気で自分の本音と向き合い自分らしい人生を歩みたいひとを、応援したい!そう思った!

なぜなら、見えるから。なぜなら分かるから。

だから中途半端なひとは来なくていい。わかったふりして学ぶ気のないやつも去ればいい。

もう降りない、下界に下らない。私の人生にかける時間は、自分の人生を生きると覚悟した人だけでいい。じゃないなら、寝てる方がいいわっ

以上!


京都、嵐山にて!わたしはパッショニスタ!情熱人間として生きる!ますます激しく光を放ち、焼け野原にしてくれるわ!天空の城ラピュタばりに、巨神兵なみにいらぬ雑念を蹴散らすわ。ぴーって!!(しし、師匠に似てきてしまふ)

そして、私は私を表現する。

焼き払うのは、そこに花が咲く!それが分かっているからできる。

ずっとこの嵐山のこの水の下には、龍神さまを感じるし、わたしの覚悟を聞いていただいた。

わたしの脳裏には不動明王様がちらついていた。なぜ、あんなに怖い神さまいるんやろかと思っていたけど・・・今なら分かるよ!必要!!

わたしは、情熱的に生きる。

アディオス!!

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