自分が、運命を受け入れたふりをしていた件

本日。

クラアルンプールに滞在中の相川氏と、オンラインセッション。

いやはや、前回の復活祭で、死んだが・・・・

まだまだ私には、「いい人でありたい」「いい娘でありたい」「わたしできてますアピール」が長年の癖がぬけない。

これは、ひとりではなかなか無理だ。

もうありがたき存在。

自分自身を操作して、だましてる・・・おそろしや・・・くしくも明日はウエサク祭り。

うーん、うまくできすぎたシナリオだ。




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わかってますアピールをする瞬間にずれる。



本当に、えらいことを言って申し訳ない。

なんだろね。自分で自分をだます天才だね。

「わかってますアピール」これ、確かにわかってる部分があるのよ。

でもね、これって、この発言をしたその瞬間に感じるべきエネルギーから、0.1mmずれるのよ。そこが問題。

わかってますっていうことを話した瞬間に・・・相手の言葉を受け取ってないの。

それに気がついた。

それを相手にされたことが最近あって、ん?わかってないなと思ったんだけれど、これだったわ。

もう黙る。

学ぶべきときは、黙る。飲み込む。噛みしめる。今を感じることに集中だ。

悲しみを味わいきる



そして・・・

うん、まだ悲しみを味わい切ってなかった。

そして、どうにかしようとするのは、相手を邪魔することであって、愛ではなかった。

どうにかしようとするのは、エゴでしかない。

やめよう。

悲しんでいる人をほおっておく・・・というのも愛だ。

だから、・・・しなければならないの発想は確かに、エゴだ。それを自分がやっていた。

自分の本当の居場所へ行くことの怖さがそれを、していたように思う。

なんか冷静に考えたら、私だけの一人芝居だったように思う。誰も求めてないよって!

あれって、自分だったんだな。だから空回りする。役割じゃないから!!!

我が道を行こう!

いい娘をやめる


これもまた、自己満。だれも求めてないよ。

私自身が生き生きと、のびのびと生きることが私自身を生きることなのだから。

そう思った。

素直に。

問いに答えていたら、自分で答えをだしていた。

「家族を楽しませたい!」その裏には、仲良く家族の中をとりもたなくてはいけないという偽りの愛があった。

「で、楽しませなかったらどうなるの?」と先生に質問されたときに

「別にどうにもならない」と自分で言っていた。腑に落ちながら言っていた。それと同時に涙が出た。

そう、それをしても、どうにもならないのだよ。

川の流れには従うしかない。

私がいくら、上流から下流に流れる水の向きを変えようとしても、無理なのと同じ。

理(ことわり)なんだ。

そう思ったらふと気が楽になった。

もう、まゆみ劇場はやめようと思う。

父と話す。自分が運命を受け入れたふりをしていた。


父に素直にやろうとしたこと、そして、どう感じて、それをしようとしたのか。

父が悲しんでいると思ってやろうとしたこと、それは意味のないことだと感じて、やるのをやめたこと。

案外あっけなく、さらっとその会話は終わった。

父は「悲しかったこともあるけど、今はそうでもないな」そうポツリといった言葉は心からの本音だった。

なぜなら、相川氏と話しているときにほぼ気づいたんだ。嗚咽した瞬間、肚に溜めていた感情がでてきたのが分かった。あんなにあの晩泣いたのにな。

そうか、私が悲しかったんだ。

だから我慢してる自分に蓋をして、父が悲しむこと、寂しがることを許していなかった。

私が、勝手に家族が欠けているから補わないといけないという癖を持ち続けているだけ。

私自身が、早くに母がいなくなったことに納得いっていなかったんだと。

まだ悲しみ切れていなかったことと、周りの大人が、自分が選んで生まれてきてると言おうと、えらい悟りのひとがなんと言おうと、頭で操作して納得したふりをしていたのが私だった。

母の死を許せていなかった。なんで、早く死んじゃったんだよ!!バカバカ。寂しかったじゃんか!!あっという間すぎたよ、嘘みたいにいなくなって!!

そう思った。

運命を受け入れたふりをしていたんだな。

それが、わかってますアピールの根源だった。

知識じゃないんだよ!知識なんか関係ない!心は納得するまで悲しめばいい!怒ればいい!さみしがればいい!その瞬間においてきぼりした感情は身体に留まる。

いつか昇華しなくちゃいけない。

何を思った!?何を感じた?

わたしは、自分の運命がつらかったよ!!受け入れたふりをしてきたよ。いままでずっと。

でもいいんだ。おいてきぼりしてきたわたしを見つけたから。許せていなかった自分に気がつけた。それだけで、自分を救えた。


パリで買った、ラブティ、ずっと飲む気分になれず開けずにいたけれど、今日はこれだと思った。泣き疲れて、飲んで癒された。


ローズの香り、愛に包まれた。

翌日追記: 悲しみも私のアイデンティティ


昨日、セッション中に涙が出て、また記事書きながらお風呂で泣いて、いままた友人とやりとりをしていたら泣けてきた。

悲しみってさ、思い出したら泣くんだよ。

別に悲しみって出し切ったら消えるわけでもないんだな。

悲しくなったらまた泣けばいい。そう思った。

そうか、わたしは坊さんでも仙人でもない、感情を持った人間だから

わたしはこの悲しみを持ったまま生きてもいんだな、これも私のアイデンティティだな。

指紋みたいなものだ。

そう思った。




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